「黒板五郎の流儀」を読み直しミニマリストについて考え直してみる

ミニマリスト&シンプルライフ

倉本聰さんは、テレビドラマ「北の国から」の脚本家として知られており、富良野に移住して「富良野塾」を開設したことでも知られております。

倉本氏はドラマの脚本だけでなく、エッセイなどの著書も多数出されており、特に富良野に移住してからの本もたくさんあります。

 

私も北海道関連の本集めをしていたことに、倉本氏の著書はいくつも目を通しました。

特に富良野に移住してからの地元民との交流を描いたネタはほのぼのとします。

 

今回は、倉本氏が直接執筆したものではないのですが、北の国からの黒板五郎さんをテーマにした興味深い本を1つ取り上げます。

富良野の暮らしだけでなく、自給自足を営むシンプルライフについても書かれており、ミニマリストや断捨離などにも通じるものがあります。

 

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富良野での丸太小屋生活を描いた「黒板五郎の流儀」

今回紹介する「黒板五郎の流儀」は北の国からで田中邦衛さんが演じていた黒板五郎さんがテーマです。

黒板五郎さんはドラマの中の人ですので、実際にこのような暮らしをしていたわけではありませんが、もし実在していたらという前提で書かれた本です。

 

本書でドラマ「北の国から」で語られたセリフを交えながら、バターや電気、丸太小屋までを作る黒板五郎さんのエコロジカルライフが紹介されています。

実際に富良野のような広い土地でこんな暮らしができないとしても、五郎さんの生き方や暮しの知恵の中に何か参考になることがあればというメッセージが詰まっています。

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「黒板五郎の流儀」のレビュー(感想)

私がこの本を手にとったのは北海道に関連し、北の国からの内容に興味があったからでした。

2012年くらいに読んだので、その当時はミニマリストやシンプルライフにそこまで興味はない時期でした。

 

当時読んだ際には、このような感想を残しました。

ドラマ「北の国から」の黒板一家が暮らした家は汚い空き部屋から始まりました。
その後、黒板五郎さんが丸太小屋、廃材だけでの家、石の家と、ほとんど費用をかけず手作りしています。

丸太小屋、廃材だけで建てた家、そして石の家と、ドラマで見ている分にはわくわくして楽しそうに思えてしまうのですが、実際に作るとなると大変です。
電気は風力で自家発電、水は井戸を掘る、ガスはないので薪で火をおこすといった、ほぼ完全な自給自足、それこそ半サバイバル生活です。
(当時の人気テレビ番組)1ヶ月1万円生活なんか目じゃありません。

『黒板五郎の流儀―「北の国から」エコロジカルライフ』には黒板家の家作りや生活についてまとめられており、家の作り方まで掲載されています。

それこそ五郎さんの暮らしや家の設計に興味があれば、とても面白く読むことができます。
家の設計まではちょっとという場合でも、該当部分はななめ読みしても他の項目で十分楽しめます。

本書の最後に倉本さんが拾遺として、黒板家とその周りの人々の会話を記しており、中でもとても印象に残った言葉がありました。

「ここの生活に金はいりません、欲しいもんがあったら…もしどうしても欲しいもんがあったら…自分で工夫して作っていくんです。作るのが面倒くさかったら、それはたいして欲しくないってことです。」

う~ん、深いです。

 

この感想を書いた当時、倉本さんが書いた言葉に感じるものはあったのですが、そこまで深く考えてはいませんでした。

しかし、改めて自分で読み直してみると、ミニマリズムやシンプルライフに通じるものを非常に感じ取ることができました。

 

今のミニマリストやシンプルライフって、本当に必要なものだけを厳選して暮らそうと語ることが多いですが、欲しいものって結構簡単に手に入れることができます。

そして、必要ないものは捨てよう(断捨離しよう)というのも、心理的抵抗があるにしても、作業としてはとても簡単です。

 

ミニマリストの生活も調子に乗ってしまうと、欲しいものはすぐに手に入れ、いらないものは簡単にポイする。

こういうことを繰り返しているかもしれないなと、時々考えてしまうことがあります。

本当は物を手に入れることはとても大変なことで、だからこそ手に入れたら長く大事に使い切るのが本当のミニマリズム、シンプルライフではないのか?

そう考えることがあります。

それについての答えが、倉本さんの最後の言葉に詰まっているのような気がします。

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黒板五郎さんの流儀から再度ミニマリズムを見直す

以上「黒板五郎の流儀」のブックレビューでした。

私自身も久しぶりに振り返って、ミニマリストの生活について考え直す機会になりました。

 

ミニマリストという名前に乗っかって、自分が目指している本質を忘れてのではないか?

物を少なくすることだけにしか目にいかず、物を大事に長く使うこと、エコリズムのことは無視していたのではないか?

単に見栄えだけ取り繕っても意味がないなと考えさせられました。

 

私自身も最近はやたらと物を買ったり捨てたりということはしていないつもりですが、もう一度身の回りの物事を見直そうと思います。