戦後の知床の暮らしを知るなら「人間総業記-知床ウトロ絨毯」を読むと面白い

北海道生活

今回は昔集めていた北海道関連の本の中でも、かなり濃い内容のノンフィクションを1つ。

著者はいわゆる作家とかではなく、知床をで事業をしていた一般の方です。

「人間総業記」なんて名前もすごいのですが、知床に関することがいろいろ書かれているのかなという興味から読んでみた1冊です。

今回はこちらの本のレビューをまとめました。

 

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小野寺英一著「人間総業記-知床ウトロ絨毯」のストーリー内容

最初は軽い気持ちで読み始めたのですが、なかなか強烈なドキュメンタリーでした。

やはり戦中・戦後の混乱の中、生きのびてきた人たちは本当にたくましいというか、ストイックにならざるを得ないのでしょう。

特に戦後の混乱期は、この先どうなるかわからない中、生きることに必死だったのというのが、とても伝わってきました。

 

今回取り上げた「人間総業記 知床ウトロ絨毯」。

著者が生まれた昭和6年から戦争を経て、独り立ちして上京するまでの回顧録になります。

北海道の丸瀬布で生まれ、芭露(現在の湧別町)で育ち、その後樺太に渡ります。

終戦後、樺太を何とか脱出し、知床のウトロへ移り住み、そこでの厳しい生活から、やがて独り立ちするまでが詳しく描かれています。

 

樺太へ渡り、戦争が始まるまでは比較的裕福な生活をしていたのですが、日本の敗戦が濃厚になり、ソ連軍が侵攻してきてから生活が一変します。

樺太を脱出するために家族が離れ離れになり、脱出もできず足止めをされ、ソ連軍の管轄下におかれた中の生活。

ようやく脱出したものの、戻ってきた北海道に生活の拠点がありませんでした。

その後、あるきっかけでウトロ(現在の斜里町)を紹介され、一家揃って移住を決意します。

 

まずは先発隊として著者がウトロにわたったのですが、家は廃屋同然、食料も殆どなく、ほぼ何もない状態で越冬します。

食べ物を得るために。時には涙を流しながらトッカリ(アザラシ)を撲殺し、食料と油を確保するくだりは呼んでいるこちらまで心が痛みます。

(そのトラウマからか、著者は今でも動物園などでまともにアザラシを見ることができないそうです)。

 

そんな厳しい中でも父親は漁業で生計をなし、著者自身も郵便局の職員として働き、少しずつではありますが生活を取り戻していきます。

やがて著者は上京することを決意しウトロを離れることに。

 

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「人間総業記-知床ウトロ絨毯」のブックレビュー(感想)

まず、この本を読んで思ったのは、本を書いた当時、既に80歳を超えている著者の記憶力です。

本当に細かいところまで覚えており、事細かく記された本文から、そのときの状況や息遣いがとてもよく伝わってきました。

特に樺太とウトロでの話は目の前に情景が思い描けるくらい緻密です。

 

本書は自己伝としてではなく、当時の知床周辺の状況を知る上での貴重な記録にもなるはずです。

戦後の樺太での様子がここまで書かれているものも珍しいのではないでしょうか。

特に終戦直後でも現地のロシア人と仲良くしていたのにはびっくりしました。

 

タイトルに「知床」と入っているので、世界遺産になった知床をイメージされる方も多いかもしれません。

しかし戦後すぐの知床、特にウトロ地区は陸の孤島と言われており、本当に不便なところだったようです。

おそらく当時は生きることに必死であり、自然に対しては厳しさしか感じていなかったはずです。

それでも著者は最後に『「ウトロのオホーツク海の夕焼けは、世界一だ」、オホーツク海も知床連山もペレケ川の渓流も、園にいた人間や動物も全て胸に畳み込まれている。私はこれを1枚の「ウトロ絨毯」と命名した、私の宝物である』と述べています。

著者にとっては知床での生活は何にも代えがたいいろいろなものが詰まっているなと非常に感じられました。

 

今、何かに迷っていたり悩んでいるなら、この本を読めば、何か感じるものがあるかもしれません。

私自身、少なくとも、生きることに対して前向きになりました。

 

ほとんど知られていない、かなりレアな本ではありますが、この本に出会うことができて本当によかったです。